人生一度きり

発達障害の子を持つ母としての経験談。自分の鬱、適応障害の体験談。その他日常で思ったことなど。1ミリでも前向きに生きてます。

大好きなお味噌汁

ねもこたんです。

 

今日から3連休の人も多いのではないでしょうか?

そして来週も、またまた我が家は3連休になります。

 

連休で思い出したのが、息子がまだ幼稚園生だった時のゴールデンウィークの時のことです。

 

我が家はカレンダー通りの休みなので、ゴールデンウィークはなかなか大型連休にはなりません。

 ですが、連休がきてはまた連休。

 

私は普段の3連休でも遠出はしない主義なんです。

どこに行っても激混みだし、道路は渋滞するからトイレも心配だし。

そこを押してまで、出かけたいとは思いません。

 

でも考えました。

当時息子は幼稚園生。

幼稚園が始まったら、息子は友達と会話するのか分かりませんけど、誰はどこに行ったとかいう話にきっとなるんだろうなぁ〜と。

 

それで、遠出は無理だけどせめて映画ぐらいは行ってあげようと思い、確かドラえもんを観に連れて行きました。

 

一応、私の中ではどこかへ連れて行ってあげたつもりでいたのです。

 

で、少し後になって知るのですが、幼稚園でゴールデンウイークの思い出の絵を描いたようなんです。

 

まさかそんなことがあるとは知らない私。

そんなことがあるなら、もう少し「ちょびっと遠出」くらいはしたかもしれないのに〜。

教えてよ、先生〜。

 

で、息子の描いた絵というのが、なんと「お味噌汁の絵」でした。

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私は、「えっ?!」ってなりましたよ。

映画連れて行ったじゃん。って。

 

そう言えば連休中、息子の好きなお味噌汁の作り方を教えてあげたくて一緒に作ったのです。

息子がなんとなくお料理に興味を示していたのだと思います。

私がそんなことを思い立ったのですから。

 

今でも、息子はチョチョっと食べたいものを作ります。

私はお味噌汁以外は全然教えていませんけど。

 

で、息子にしてみたら、お味噌汁を作ったことが一番の思い出になったんでしょうね。

私には、わかるような気がします。

 

あの時、幼稚園で、息子はだいぶ変わった子だと思われていて、母親の私も苦労しているのを知っていた先生は、きっと気をつかってそっとしておいてくれたのでしょう。

絵のことについて何も言われなかったし聞かれませんでした。

 

でも、聞いて欲しかった。

聞いてくれれば私も、こんなわけで息子はお味噌汁の絵を描いたんです、と言えるじゃないですか。

息子にとってはすごい思い出になったみたいですって言えるじゃないですか。

 

先生は、息子がお題を無視して、好きな食べ物の絵でも描いたのかと思ったのかもしれませんよね。

そう思われても仕方ないほどトンチンカンでしたから。

 

息子が小学校低学年の頃、私が体調が悪く寝込んでいると、白いご飯に、手作りの楊枝で作った旗をさして、自分で作ったお味噌汁をお盆に乗せてベッドまで持ってきてくれたことが何度かありました。

 

普段、息子とコミュニケーションが取れないので、息子が何を考え思っているのかさっぱりわからないでいましたが、この時は、こんなことしてくれるんだぁとちょっと感動しました。

 

お味噌汁の作り方教えておいて本当に良かったです。

 

その後は、というかつい最近まで、私が体調が悪くご飯が作れないでいると、自分でお味噌汁を片手鍋いっぱいに作って飲んでいました。

残念ながら、おすそ分けはありませんでしたけど。

いいんです。

 

今では帰りが遅いので、ご飯を食べるのかどうかわからないのですが一応作っておきます。

すると、翌朝にはお味噌汁は一滴残らず飲んであります。

 

特別に凝ったお味噌汁ではないですよ。

美味しいだダシを使っていた時もありますが、基本は顆粒ダシです。

 

息子は小さい頃からおじいさんみたいな食の好みで、ぬか漬けとか煮物とかが好きでした。なかでも、お味噌汁は大好きみたいです。

 

 

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シンクロニシティ〜『自分という奇蹟』を読んで〜

ねもこたんです。

朝から涼しい日でした。

毎年こんなに急に秋がやった来てたかなぁと振り返るも、よく分かりません。

記憶なんて曖昧なものです。

 

さてさて、『自分という奇蹟』(著者、五木寛之)を読みました。

この本は、ブックオフでの査定待ちの時に思わず買ったものです。

が、読み進めていくうちに、「あれ?多分この本、以前にも読んだかも。」と思うようになってきて、多分2回目になると思います。

 

 こちらの本です。

 
ここ数年、読んだ本を売るようにしていて、リコマースやブックオフを利用しています。
そう言うわけで、自分が読んだ本かどうか覚えておらずに買ってしまいました。
でも、どーせ覚えてないのだから、もう一度読んだっていいですよね〜。
 
1度と言わず、2度でも3度でも。
どうせ覚えていられないのよ〜。
 
本を読むたびに知識が増えるって言う人、羨ましいです。
 
私は部分的にしか覚えていられない。
しかもほんの一部ね。
 
で、何がシンクロニシティなのかってことです。
いや、過去のこの本の潜在的な記憶に過ぎないのかもしれません。
分かりませんが。
 
まず、人間は生きているだけで大変なのだから、それだけでスゴイと言うこと。
生きているだけでいい。
生きているだけで十分。
生きていることそのこと自体に意味や価値があると言うこと。
 
まずこのようなことです。
最近、こんなことを改めて考えていたのですが、この本にも同じようなことが書かれていたのです。
 
自分の辛い経験から思うようになったことです。
 
最近は特にツイッターなんかよくわからずにやっているのですけど、「フリーランス」だの「社畜」などと言う言葉がやけに目立つなぁと思っていました。
 
確かにみんながやりたいことをやって食べていけたら理想だと思います。
ですが、果たして全員がそんなことできるのかい?
全員が向いているのかい?
といった疑問が湧いていました。
 
スピリチュアル系の動画を見ていても「自分の使命を知ろう」などと飛び交っています。
うん、それは確かに理想なんだけど。
 
この本の中でも、エネルギーのある人はそういったことをすればいいと言っています。
 
私は、かろうじて虚弱体質のくくりに入るようなグレーゾーンな体力のない人間です。
なので、自分が「フリーランス」とか「使命」を持って生きられるのかと考えると、体力的に難しいと思っています。
 
正直、体調の悪い時は、メンタル面での底は抜けだしたとは言え1日中辛いです。
もともと体力ナシ子なので、これが更年期なのかどうか分かりません。
 
辛い日は、『1日生きてただけで偉い。』って自分で自分を褒めてあげたくなります。
 
生きていることそのこと自体に価値を見出さないと、自分で自分を苦しめてしまうことになるでしょう。
 
たとえ元気な時でも、疲れてしまって家事だってまともにこなせないのですから。
 
著者は、人間はどんな人でも、人間であるだけですごいことだと言っています。
 
 
 それとこの本の中で、自分ではどうにもできない『運命』があるのだから、それを受け入れてしまえば楽だと言うことが書かれています。
 
自分の努力ではどうにもできないことがありますよね。
 
たとえば、私の場合で言えば「子育て」と「うつ」です。
 
『運命』を受け入れると言う話からは少しずれますが、私はこれを経験して本当に良かったと思っています。
 
以前、私はかなりのポジティブ人間でした。
悪いことにも必ず意味があると考えたり、良くない出来事もいい方に考えようとしたり。
時にはそう言う自分の考えを、人に押し付けていたかもしれません。
 
でも、いろんなことを経験して、イヤ、かなりどん底まで経験して、どんな状況もポジティブにばかり捉えていられないんだと言うことを知ります。
経験したわけです。
 
そうすると、同じような経験をしている人やした人に寄り添えるんですね。
 
どん底にいる人にポジティブな言葉ばかりかけると、相手の人は返って悲しみが増してしまうんです。
相手の人は、もう何も話たくなくなると思います。
 
そう言うことを自分が身を持って経験してきたわけですから、『いつだってどんな時だってポジティブ人間』な自分にさよならできました。
 
私自身は、自分の『運命』を受け入れられているのかどうかはまだ分かりません。
でも、『運命』によってそう言う貴重な経験ができたことは、人生の宝だと思っています。
 
シンクロしたのは以上の2つですが、他にも本当にいいことが書かれているので、って上から目線?
 
そうそう、まだありました。
暗闇にいた人には、ほんの少しの光でも眩しく感じると言うこと。
そんなことをブログに書きたいなぁなんて思っていたところでした。
 
著者ご自身、戦時中大変な辛い経験をされているのです。
そんな経験をしたからこそ、優しさがいっぱいに滲み出ているのだと思います。
 
生きにくい現代を生きる人たちに、是非読んでほしい一冊だと思います。
 
 
 
 

なんてことない日常〜天の神様を感じた一日〜

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 おはようございます。ねもこたんです。

 

昨夜は雷と豪雨がすごかったです。

久々にものすごい雷でした。

 

何ヶ所にも落ちたんじゃないかな?

 

トイレに入ると窓の外がピカピカしていて、いつズドーンときてもおかしくないから、おちおちトイレにも入っていられなかった。

他の小窓からもピカピカの連続。

 

ガラガラドッシャーン。

って数回ほど。

あれは落ちましたね。

何度も地鳴りもしてました。

 

頭に突き刺さるような轟音で、おもわずスマホを放り投げたり。

スマホも電気通っているでしょう?

 

先日の台風で豪雨と強風、豪風とでも言うのでしょうか。

そんなのに怯え、昨夜は雷に怯えていました。

 

雷はやっぱり「神なり」なんだと感じた夜でした。

 

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人間の都合で海は埋め立てるし、山は削られていく。

ドライブをしていると必ず目にするのが、削られた山の姿。

なんとも痛々しい姿を目にする度に胸が痛みます。

 

更地があれば、どんどん家が建っていくし。

このままエンドレスに家が建って行ったら、地面がなくなっちゃうよな〜。

って、ねもこたんの胸は痛くなります。

 

身近なことだけでも失われていく自然がこれだけあるのだから、天の神様もお怒りになるに違いないよな〜。

 としみじみと思った夜でした。

 

 

 いい夢を見た

で、そんな昨日の朝、とってもいい夢を見ました。

夢の話なんてつまらないかもしれませんが、こんないい夢滅多にないと思うので話させてください。

 

私の大好きな、今は亡きロックスター忌野清志郎が夢に出てきたんです。

 

体育館のギャラリーみたいな所から私たちを見下ろしていて、私は彼と目が合いました。

その時手を振ると、私の目を見て手を振り返して

くれたの〜(((o(*゚▽゚*)o)))♡

 

その後、私が誰かと戯れて遊んでいたら誰かに肩をトントンと叩かれて、振り向くとなんと清志郎がいて、ニッコリと彼の方から握手をしてくれたの〜

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

とっても優しい目をしていた。

 

あー、なんて素敵な夢だったんだろう。

あんなにいい夢だったら、いっそのこと夢の中で暮らしたいわぁて真剣に思いました。

 

私は小学校5、6年の頃、当時彼がボーカルをしていたバンド、RCサクセションのカセットテープを何度も巻き戻しながら、布団叩きの柄の方をマイクに見立て、すっかりなりきって歌って遊んでいたんです。

 

ねもこたんは、そんなごくごく普通の女の子だったわけですが、

あのままバンドでもやったら、今ごろは偉大なるロック歌手にでもなっていたかもしれませんw

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で、いつかは彼のコンサートに行きたと思っていたら亡くなってしまった。

 

その経験から、私は行きたと思ったコンサートはできるだけ行くようにしてます。

 

清志郎は、こんな変な格好してぶっ飛んで歌ってるけど、本当はすごくシャイで正義感に溢れていて、礼儀正しくて、とっても優しい人だったんだゼ!

 

そんなにいい夢を見たあと起き出して、家事をしている最中にめまいがして寝込んでしまいました。

横になっても頭が変で。

文字通り頭はいつも変ですけど。

 

そう言う変じゃなくて、痛いのとは違うし、めまいの延長のような説明するのが難しい変な感じ。

よくあるのですが。

 

昨日は、そんな夢を見た後だっただけに、もしかしたら清志郎がお迎えに来たんじゃないかと思いました。

それならそれで喜んで行きますけど。

 

具合の悪い一日を乗り越えるために、天の神様はあんな素敵な夢を見させくれたのだろうか?

 

なんてことない日常に、天の神様を感じた一日でした。

 

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友人は、結局のところ「美学」が一緒なんだと思う

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 ねもこたんです。

 

私が常々思っていることです。

だんだんと、年と共に感じたことでもあります。

 

友人はまず、波長が合う人。

どういう波長とかっていうのは説明できませんけど、自分と波長が合う人です。

同じような波長。

 

皆さんもそうでしょう?

 

初めて会ったのに、初めて会ったような気がしない人っていますよね。

話していて楽だし、分かり合えている感じ。

 

それか、だんだんと分かり合うケースもあると思います。

 

そして、いつの頃からか思うようになったのは、「美学」が一緒だということ。

 

それは二つだけ。

 

言い訳しない。

自慢しない。特に身内の自慢とか。

 

この二つにつきると思っている。

 

私の場合に限って言えば、身内に自慢できるような人はいませんけど。

 

こちらから聞いてもいないのに、兄弟や親がどこの大学出たとか、どこに勤めてるとか聞かされるのはちょっとって思う。

私からも聞きませんよ、そんなこと。

 

でも、言う人はこちらにも聞いてきますね、大概。

 

「美学」が一緒だと言うことは、価値観も同じだと言うことにつながると思うんです。

究極の価値観だと私は思っています。

 

夫ともそうだと思います。

 

結婚して間もない頃のこと。

夫の実家に行った時、お姑さんが夫に、いとこの誰それはどこに就職しただとか一生懸命伝えていていて、それを見た時、私はなんか嫌な気分になったんです。

きっとお姑さんとは合わないなぁ〜、となんとなく思いました。

その直感は見事に当たりました。

 

その時の夫は、全く無関心な様子でした。

本当にどうでもいいような顔をしていて、見事なまでに無関心な様子でした。

 

親子が一緒だとは必ずしも限りませんから。

 

 私の周りでは、身内では、あまりそう言うことに絞って話題にされることはありませんでした。

親子間でちょこっと話題になることはあっても。

 

親戚が集まった時などは、もっとくだらないことで話がもり上がるから、そんなことをわざわざ話題にしなくても楽しく過ごせてたのだと思います。

 

肩書きが気になってしょうがない人って世の中にいるんですよね、意外と。

まずそこを聞かないと始まらないみたいな。

 

当人同士でも嫌ですけど、自分のこと聞かれたり、相手のことを話したりするのはまだいいと思うんです。

お互いのことだし。

でも、嫌ですよ。

 

でも、身内は関係ないでしょ。

その人の身内なんてどうでもいいんです。

それと、夫の仕事のこととか。

 

どこの大学出ていようが、どこに勤めていようが、私は「あなた」と会っているんだし。

それを知ったところで、スゴイとも悪いとも思わない。

 

逆に聞いてくる人は、私の夫や身内の肩書きが良ければ私の評価が上がり、悪ければ下がるのでしょうか?

そういうことなのかしら?

 

とにかく、そんなことはどうでもいい人と自分は親しくなれるんだなぁと思っています。

 あと言い訳しない人。

 

なーんて思っているのは私だけかしら?

 

 

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【台風】恐怖でした〜お仕事は休みにして日本人はもっと寛容になればいいのに〜

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 ゆうべの台風は、本当に凄かったですね。

 

みなさまご無事でしょうか?

被害などは出ていませんか?

 

我が家付近は上陸したようで、

ゆうべは夜中の2時頃から雨の音はもちろん怖かったけど、家の揺れ方が本当に怖かったです。

 

雨の降り方が機械洗車の中にいるようで、そんな状態がひたすら続く感じでした。

そういうのは今までにも経験してます。

 

ですが、風で家が持って行かれそうなぐらいの今までに感じたことのない、ものスゴイ勢いを感じてそっちの方が怖かった。

ゴォーッって地鳴りがしたと思った次の瞬間には、地震が来たみたいに家がガタガタ揺れるんです。

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 家はそんなに古くもないです。

木造で、宮大工もやっている工務店さんに建てもらい、柱なども今時にしてはしっかりとした作りだとは思います。

なんか、自慢みたいに聞こえてしまうかもしれませんが。

その代り狭い敷地では、間取りの自由があまりきかないのかなぁと素人考えで思っています。

 

そんな家でも、木造には違いありません。

もういつ屋根が吹き飛ばさるんじゃないかって本気で心配しました。

家がバラけてしまうんじゃないかって、本気で心配しました。

窓だっていつ割れるんじゃないかとか。

 

いつもは真っ暗にして寝ていますが、ゆうべは、あれから枕元の電気をつけて明かりがあることで怖さを紛らわせていました。

 

その明かりが時々、ユラユラっとして停電しそうでした。

でも停電は免れました。

 

も〜、本当に恐ろしかったです(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

 

普段、当たり前に住んでいる家に感謝した夜でした。

 

今朝方からは、遠くの方で消防車の音が鳴り止みません。

 

 

何がなんでも出勤する夫

そして、今朝いつもより遅くに夫は出勤したものの、最寄駅では入場規制をしているみたいで駅前広場は人でごったがえし、実際に電車も動いてないのに多くの人が職場を目指しているようです。

 

電車の見通しも不確かなのに、みんな仕事に向かっていてスゴイ大変だなぁと思うのと同時に、こんな時は会社は休みにしてしまえばいいのにと思ってしまいます。

 

いつたどり着くんだかわからないですよね。

この異常な暑さの中、何時間も足止めをくらって、やっと会社にたどりついてもいい仕事なんてできないと思うんだけど。

 

どうしてもの仕事は、前日入りしていると思うんです。

 

でも、そうでもない仕事なら遅れが出てしまっても「台風の影響で処理が遅れました。」って言うことがまかり通る世の中になればいいのになぁ、と思ってしまいます。

 

もっとみんな柔軟になって、もっと寛容になろうよ〜。

 

自然には抗えないんだってみんな柔軟になろうよ〜。

 

何がなんでも会社に行かなきゃなんておかしいよ〜。

 

もっと人間味あふれる社会になろうよ〜。

 

夫とのメールのやりとりで、何がなんでも会社に向かう夫の様子を見てそんな風に思った次第です。

 

 ねもこたん。

 

 追記

夫に何度も帰って来るように促しました。

結局、帰って来るみたいです。

家を出てから3時間が経ちました。

 

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【鹿島神宮】に行ってきました〜すごい森林浴ができました〜

我が家はそんな都会にあるわけでもないけど、近くに森や林などのがないんです。

関東平野の端くれに住んでます。

 

自然児のねもこたんは、毎日「あー、山に行きたい。」「山に行かないと死んじゃう。」ってぐらいに飢えているんです。

 

いっそのこと、森の中に住みたい。

でも、人の気配が全くないのは寂しい。

ウサギさんみたいに寂しいと死んでしまうねもこたんは、ポツンと一軒やみたいのはムリ。絶対ムリ。

 

少なくても週に1回は緑多き所に行かないと調子が狂う。

だから長きにわたり調子が狂ったんだと思う。

それだけではないけどさ。

 

結婚式に友人が紹介してくれた私の取り扱い説明書にも「週に1回は山に連れて行くように。」ってあったのに、夫はそれを守って来なかったからすっかり調子が狂っちまったんだ。

 

そんな私がすごい気に入ってしまった鹿島神宮の森の小道。

イヤ、小道っていうより大道ね。

もうね、両脇に並ぶ樹々が全部御神木?っていうぐらいの立派な樹で、ズラリと並ぶそんな御神木並みの樹の中を歩けて幸せでした。

 

そこはもう森の中。

下手な山歩きより、とーーーっても涼しくて人もごちゃごちゃしてなかったのが良かった。

拝殿から森の中へ。

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後ろを振り返るとこんな感じ。

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 そうそう、鹿島神宮に行ってきました」っていうタイトルでしたっけ。

 

鹿島神宮ご祭神は〜だとか歴史は〜だとか、もうどうでもよくなっちゃうぐらいの森の中だったものですから、つい。

もうそこの森の中に神様が宿っているって感じた次第。

 

歩ける所がいくつもあると言うのかな、途中から四方に広がっているんです。

あちこち歩いては休んで、2時間ぐらいいましたよ。

 神社に行って2時間てすごくないですか?

 

あっ、また話がそれてしまいました。

 

鹿島神宮は有名だし知っている人も多いと思いますが、一応紹介させて下さい。

ググればいいって話だけど、その一手間も惜しいでしょう?

私がググっておきましたので、ご興味ある方はこちらをどうぞ。

 

鹿島神宮について

鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社式内社名神大社)、常陸国一宮旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

全国にある鹿島神社の総本社。千葉県香取市香取神宮茨城県神栖市息栖神社とともに東国三社の一社[1]。また、宮中の四方拝で遥拝される一社である。

  概要 

茨城県南東部、北浦鹿島灘に挟まれた鹿島台地上に鎮座する。古くは『常陸国風土記』に鎮座が確認される東国随一の古社であり、日本神話大国主の国譲りの際に活躍する武甕槌神(建御雷神、タケミカヅチ)を祭神とすることで知られる。古代には朝廷から蝦夷の平定神として、また藤原氏から氏神として崇敬された。その神威は中世武家の世に移って以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬された。現在も武道では篤く信仰される神社である。

文化財のうちでは、「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」と称される長大な直刀国宝に指定されている。また境内が国の史跡に、本殿拝殿楼門など社殿7棟が国の重要文化財に指定されているほか、多くの文化財を現在に伝えている。鹿神使とすることでも知られる。

  wikipediaより

 

ていうことらしいです。

 

アクセスはざっくりと、

 

車でのアクセス

東関東道 潮来I.C. から6〜7キロ。

 

高速バス

東京駅八重洲口からあり。「かしま号」

 

電車でざっくりと

東京駅から鹿島神宮駅まで乗り継ぎながら、約二時間半。

鹿島神宮駅から徒歩10分らしいです。

 

 

 カーナビに従ったら裏手の駐車場に着いた 

今調べていたら、カーナビによっては裏手の関係者道路に迷い込んでしまう、と言う記載を見つけました。

おっそー。

しかし、迷い込んだりはしてませんから〜。

ちゃんと関係者用の駐車場に辿り着きましたよー!

 

そんなこと知らなかったから、なんか工事関係者の人を見かけるなぁと思ったり、20台分もなさそうな狭い駐車場で、こんなに有名なのに、な〜んか変だなぁと思ったんです。

 

裏手、そう!まさに裏っぽいんですよね。

 

歩き進むうちに、オモテがあることを知るのです。

でもね、駐車場代がかからなかったからラッキー、ってことでよし!

 

その裏手には、トイレかと思って行ってみたら弓道がありました。

 

 

いざ神宮へ 

それでは、裏手から行ってみましょう。

でも、この写真は裏手の反対側から撮ったものです。

つまり正面から来るとこんな感じです。

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まずは、ここで御朱印をお願いしていきます。

一つ300円です。

私は2種類を頼みました。

前の人たちも2種類頼んでいる人ばかりでした。

今回はぐっと我慢して、御朱印帳は買いませんでした。

 

自分の御朱印帳と引き換えに番号札を渡されます。

御朱印待ちの御朱印帳が山積みになっていました。

 

帰る頃には約100番、番号が進んでいたので私たちがウロウロしている間に約100人もの人たちが頼んだということになりますよね。

び、び、びっくりです。

 

この写真手前の写っていない所は、工事をしていました。

 

さて、お参りをしましょう。

裏手から行ったので、いきなり 拝殿です。

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そしてさっきの森の中へ入って行きました。

 

本来なら、オモテから来たら鳥居をくぐって、(一応写真を撮ってきたので載せたいと思いますが、流し見して下さいね〜。って言われなくても流してるでしょう?そこのあなた?)

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上に写る影は神様が降りていらしたのか?

じゃなくて、自分の指の影ですね。

せっかく誰もいない所が撮れたと言うのに惜しい。

 

鳥居の前で一礼して。

私はウラから来たため一旦出てから鳥居をくぐったので、まるで巻き戻しのようでした〜。

 

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 門をくぐって。

 

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手水舎です。

(読み方:ちょうずや、ちょうずしゃ、てみずや、てみずしゃ。)

何度も言うけどウラから来たので、もうお参りしちゃったけど一応お浄めしてと。

でも遅いよね〜。お参りしちゃったもんね〜。

 

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もうすでに1周してきちゃったけど、これから行くかもしれない皆さんのために案内図です。

ねー、広いでしょう。

2時間いちゃうの、わかるでしょう?

よ〜く見たい方は、スマホで拡大してみて下さいね。

 

てくてく歩いてさっきの拝殿に着きます。

その向こう側が森の中です。

森の中を歩いていると、さざれ石なるものがありました。

勉強熱心な方は、さざれ石をググってみて下さい。

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 てくてく歩いて行くと、鹿がいました。

この神社は鹿を神の遣いとしているからなのでしょうか。

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鹿の柵の周りに更に柵が張られていて、エサを買った人のみがその外側の柵の中に入れることを許されます。 

鹿さん可愛いけど、けっこう動物園クサかったなぁ〜。

私は長くは居られないわぁ〜。

写真だけ撮って立ち去りました。

 

お次は奥の宮。

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 お次は要石です。

地震を押さえている石だそうです。

表面はほんのすこししか見えませんが、おそらくは地中に大きく埋まっているのでしょうね。

「ちっちゃー。」なんて言ってはバチが当たりますよ。

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歩いていると、下に降りる道があり、1、2分で行けると聞いたので降りてみました。

御手洗(みたらし)です。トイレではないですよ。

この横に茶屋と藤棚があったので、藤の季節に来るといいかもしれません。

そう言えば、ここの御朱印帳の表紙に藤の絵が描かれていました。

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この反対側は、こんな感じ。

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このあたりにベンチがいくつかあるので休憩できますね。

 

私たちはソフトクリームを買って食べました。

が、想像していた味と違い甘過ぎて3分の1ぐらい夫に食べてもらいました。

なにも無理に食べさせたわけではないですよ。

「もう食べれないけど、いる?」って聞くと、必ず「うん。」って言って食べるんです。

 

森の中はここが最後。

御朱印をいただいて帰りました。

 

いや〜、満喫しました。

パワーチャージできましたよ。

個人的には神社うんぬんより、なんて言ったらバチあたりですね。でも、森林浴したくなったらまた来たいと思いました。
近所にあったら、毎日でも歩きたいわぁ〜。

 


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ハワイ旅行の妄想をしてみるも

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 こんにちは、ねもこたん(nemokotan)です。

 

ハワイは新婚旅行で行った思いでの地であり、その後2度、夫と訪れていてる。

夫以外の人と訪れていたら問題である。

しかし、友人とではないという意味で一応言っておきたい。

もう、かれこれ20年前の話だ。

 

最初のハワイ旅行では、カウアイ島とオアフ島

2回目はマウイ島

3回目はハワイ島

 

4島行ったことになる。

 

どこも良かった。

 

空港を降り立った瞬間からプルメリアのいい香りがして、それだけで、なんて素敵な所なんだろうと思ってしまう。

 

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 人はのんびりしていて陽気な人が多いし、空気もカラッとしていてどこに行ってもお花のいい香りがしているという印象だ。

 

サンセットを眺めながら夕飯をとったり、のんびりと外で朝食をとったり、海をボーっと眺めたり、非日常から離れて時間がゆったり流れている。

 

食事をしている途中にウェイターさんが気さくに話しかけてきたりして、ちょっとした会話を楽しんだり。

 

というのが理想である。

過去には会話ができなかったので。

 

とにかく、ハワイ全体の雰囲気が好きなのである。

 

夫は海外はハワイしか知らない。

 

息子が生まれてからは、私が無職になったこともあり予算面で海外に行くことはかなり難しい。

 

そして、もし予算面で可能だとしても、気難しい息子と一緒に行くのは私はちょっと遠慮したいところである。

 

気難しい息子、かなりオブラートに包んで言ってみた。

 

なので、できれば夫と二人で行くのが理想だ。

来年こそは行きたいね、と幾度となく妄想が膨らむ。

 

息子が高校生になった去年あたりから現実味をおびてきた。

しかし、高校生といえども息子を一人にして出かけるのはかなり心配である。

何が起こるかわからないので、「家」が心配なのだ。

 

息子は、バイトに明け暮れているし、もう自己管理はきちんとできるので、親がいなくても勝手に学校へ行ってバイトに行って食べることも適当にできるのは確かだ。

息子の心配はクリアしているが、息子による想定外の「家」のトラブルが心配なのである。

 

例えばこちら。

 

www.nemokotan.com

 

過去にこんなことがあったように、想定外のことが起こりかねない。

私と夫が家を空けたことで、家を失うようなことがあってはならない。 

 

そして更なる課題がある。

猫2匹を1週間もペットホテルに預けてもいいものなのか。

家で息子に世話をしてもらうという手もあるのだが、カワイイ猫ちゃんたちの命がかかっているので息子に託すのは、かなりリスキーである。

 

最初の息子の課題について考えてみた。

私たちが旅行に行っている間、息子は近くのホテルに泊まって過ごしてもらう。

その方が「家」にとって安全である。

 

うん。なかなかいい案。

彼なら喜んでホテルに泊まってくれるだろう。

 

しかし、その場合、何か忘れ物をしたとかなんとかで、一旦家に帰ることが想定される。

彼ならあり得る。

それだとホテルに泊まってもらう意味が全くなくなってしまう。

ならば、まだ息子を一緒に連れて行った方が安心である。

 

猫を預けるという課題について。

これはやはりちょっと可哀想である。

1週間もゲージに入りっぱなしだと思うと、かなり抵抗がある。

 

2泊3日の旅行に行く時でも、前日の夕方に預け、旅行の最終日は早々に切り上げて暗くなる前には引き取りに行っていた。

 

結論。

 

結論が出ない。

 

100歩譲って息子を連れて行ったとしても、猫のことがある。

猫を家に置いていくには、息子にみてもらう必要がある。

しかし、息子を家に残して行くのはかなりのリスクを伴う。

 

息子を連れて行ったとしても、猫の課題がある。

 

こうして幾度となく、私と夫のハワイ旅行の妄想は終わりをつげるのである。

 

そもそも、予算が、ということも忘れて。

 

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