人生一度きり

発達障害の子を持つ母としての経験談。自分の鬱、適応障害の体験談をと思い始めましたが、最近ではその他日常で思ったことなどがメインです。1ミリでも前向きに生きてます。

発達障害というグレーゾーンの難しさ(母親の立場からみて)

発達障害という言葉が一般的に知られるようになってから、10年は過ぎただろうか。

いまだに言葉だけが一人歩きしているだけで、本当に理解を得られるまでにはなっていないと思う。

なぜ理解を得られにくいのかは、やはり一見しただけでは分からないということが難しくさせているのだと思う。

そして、発達障害においては、その症状は軽度のものから重度のものまであるかと思うし、そこにその子の性格がおり混ざり性格が皆違うのと同じように、症状は本当に人それぞれなのではないだろうか。

医師の技量で診断がおりるかおりないかというのが、いまだ現状のようである。何ともやりきれない現状。

専門を名のる医師にも分からないものが、どうして一般の人にわかることができるだろうか。

私の経験から、医師が発達障害のことにおいて熱意のある経験豊富な人でないと、診断するのは極めて難しいのではないかと思う。

最低限、心理検査を行い見える化をすれば、その人の特性がある程度わかると思う。分からない医師には唯一いい手がかりになるのでは。

 

発達障害の子をもつ親の立場としては、やはり周囲の理解のなさから、偏見を恐れて公にしずらい。

子供自身が「発達障害」呼ばわりされて、自分が何だか分からないまま子供自身理解のない中で変に傷つくことも避けたい。

私の場合は、およそ10年前のことで、そんな言葉すら知らない人がほとんどだったというより、当事者でない以外の人全員と言っていいぐらだったのではないか。

しかし、言葉が浸透した今でも親の心境はあまり変わらないのではないかと想像してしまう。

発達障害をもつ母親だって、普通のお母さんと同じように叱り、むしろ普通のお母さんより叱る場面が多いのでは。

それなのに、周囲は子供の浮いた様子を見て、親の躾がなってないとか、親が言うべきことを言わないからだと思う親はいまだに多くいるのではないだろうか。

 

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特に、親の言うことを素直に聞く子供をもつお母さんには理解しがたいのだと思う。

発達障害が世に広まった現在、理解あるお母さんが増えたことを願うばかりだ。

周囲の理解を得られないと言うことは本当に辛いことである。

お母さんは、普通のお母さんより想像もつかないくらいの苦労をしていると言うのに。

幼稚園時代、忘れられない他のお母さんの言葉がある。

「目立つ子はいいよねぇ。先生によく見てもらえてさぁ。」

これは直接言われたのでなく、たまたまお迎えの時に近くにいたママが他のママに言っていたのが聞こえてしまったのだ。私が聞こえるところであえて言ったのかどうかそれは分からない。

もう一つある。これは直接言われたことだ。

「何か剣道とか習わせて、しつけをしたらいいんじゃないの?」と何とも大胆な発言。

もう悲しみしかなかった。

中には子供がそういうタイプの子供という理解を示してくれるママも何人かいた。

ほんの何人かのそういうママたちにどれほど救われたことだろう。

 

発達障害の人は、あることはできる、もしくは得意なのにあることにおいてはできないかすごく苦手とする。そのできることがあだとなって、見えにくくなってしまう。

話は飛んでしまうが、病気になって初めて病気の人の気持ちがわかった、という言葉をよく聞くことがある。医師や看護師でからでさえ、そう言った言葉を聞いたことがある。

確かに、当事者にならなければ本当にはわかることがないのだが、きちんとした知識と豊かな想像力と理解しようという姿勢があるのなら、その人に寄り添った態度が示せると思う。

とこんなことを言っている自分も、実際に息子と暮らすとなると息子への対応はまだまだである。