人生一度きり

発達障害の子を持つ母としての経験談。自分の鬱、適応障害の体験談。その他日常で思ったことなど。1ミリでも前向きに生きてます。

普通のありがたさ、でも普通ってなに?

高校生になる息子とは、今までまともな会話がほとんど成立したことがない。

 

息子が何かを言ってくるのは、要求か文句しかない。

いわゆる、親子の会話、ごくごく普通の会話をした記憶がない。

 

今では帰りが遅く、帰ってきてはすぐに自分の部屋へ行って寝てしまうので、

接する時間はより少なくなった。

息子と距離を取るよう何度もいろんな専門の先生に言われているように、接する時間がほとんどない今の状況は、私の精神状態をとても安定させている。

 

これまで、息子が家にいる間は大きな音楽をかけながらリビングを占領して物作りをしていた。

言うことが全く通じない息子といると何かしら衝突が起きる。

そして私は疲れはて、極限まで行くので眠ってしまう。

もしくは、病院からもらっている頓服を飲んで寝てしまう。

それが嫌で極力関わらないようにしてきた。

 

毎回「どうして普通に暮らせないんだろう。」と、

悲しみを通り超してしまいにはもう生きているのが辛くなってしまう。

悲しみとか辛さを通り超しているからだろうか、このことで泣いたことはない。

 

普通のどこにでもある当たり前の親子の会話を見聞きすることさえ、

その光景が眩しすぎて直視できない自分がいるほどに。

なるべくなら、遠ざかる。

 

発達障害の親子を沢山見てきた専門の先生には、

私が家を離れることも一つの案として提案されたことがあるのだが、

それは現実的ではなかった。

そうするエネルギーさえ、自分に残ってはいなかった。

提案される前から、自分でもそれが一番いい解決方法だとは知っていた。

 

今も状況はさほど変わってはいなのだが、息子と離れている時間が増えたことによって自分自身に気持ちの余裕が出てきたのだと思う。

ほとんど活動できないような体調が何年も続いていて、

最小限の家事もままならないような不安定な体調だったのが、

最近では元気になりつつある。

気持ちにも少しづつ余裕が生まれ、『ないこと』に焦点を当てずに『あること』に焦点を当てることができるようになり、日頃の『普通』に感謝が生まれる。

それは本当に当たり前のこと。

住む家があって、飢えることもなく三度の食事ができ、着るものも十分にある。家族は皆健康で、息子は毎日元気に学校へ行きバイトも頑張っている。

おまけに私は友人にも恵まれている。これ以上のものがあるだろうか。

こういう『普通』のことがありがたく思えるのです。

そして、『普通』の親子の会話はできないけど、それが我が家にとっては『普通』のことなのです。

 

 

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