人生一度きり

発達障害の子を持つ母としての経験談。自分の鬱、適応障害の体験談。その他日常で思ったことなど。1ミリでも前向きに生きてます。

「最終的に人は人に癒されるもの」に疑問を感じてしまう

私が半世紀近く生きてきた中で、ほんの数回この言葉を見聞きしたことがあります。

 

初めて聞いたのは、人間関係で大変な思いをしたと言う、友人からのメールの締めくくりに、

「でも、人を傷つけるのも人だけど、最終的には人は人に癒されるんだよね。」とあったのが最初だったような気がします。

 

私はその時、逃げられない環境の中で精神的に真っ暗闇な状態でした。

そのこともあってか、人の言葉に普段の何倍も敏感になっていたのは確かだと思います。

 

精神的に元気な状態なら何も引っかかることなく、普通に『そうだよねー。』と、自分の中で流せたのかもしれません。

 

その時、精神的に真っ暗闇だった私は、一人で闘っていました。

何に癒されることもなく、誰にも癒されることなく。

実際にそんな時は、心に癒される隙間さえもありません。

 

心療内科の先生に、『生きているだけでも疲れると思うから、無理しないように。』と言葉をかけてもらったのをいいことに、家事は放り投げて、体の欲するまま1日のほとんどを寝て過ごしていたような気がします。

ただ横になっていたのではなく、本当に眠って過ごしていたのでした。

そんな状態でした。

 

f:id:nemokotan:20190804103736p:plain

 

そんな状況にいた私には、『最終的に人は人に癒される。』と言う言葉に、どこか甘えを感じてしまったのです。

 

その友人の言葉には、『私はこんなに大変な思いをしたのだから、誰か私のことを癒してちょうだい。』と言う思いが込められているような気がしました。

 

『大変な思いをした人は、人に癒してもらって当たり前。』『大変な思いをしたのだから、誰かにどうにかしてもらって当たり前。』と、決めつけたような感じに聞こえてしまったのです。

 

そもそも人が『癒される』ものには、例えば、綺麗なお花だったり、自然だったり、いい香りや音楽だったり、ペットだったり、人で言えば赤ちゃんだったり、小さな子供だったり、いろいろあると思うのです。

 

十分癒されませんか?

 

渡辺美里の『My Revolution』と言う歌詞に、

『きっと、本当の悲しみなんて 自分一人で癒すものさ』

と言う箇所があります。

 

本当に本当に辛いことや悲しいことは、この歌詞の通り、自分自身で癒していくものだと私も思います。

 

自分の中でもがき苦しみながら、時間という一番の薬に頼りながら、自分の中で消化していくものだと思うのです。

最終的には、自分でどうにかするものだと思うのです。

 

もしかしたら、『最終的に人は人に癒される。』という言葉を発している人は、そんな深い意味で言っているのではないかもしれません。

ですが、最初に耳にした(正確には目にした)時の私の精神状態がいけなかったのか、今でもこの言葉にはどうしてもひっかかてしまいます。

 

 

 スポンサーリンク