人生一度きり

発達障害の子を持つ母としての経験談。自分の鬱、適応障害の体験談。その他日常で思ったことなど。1ミリでも前向きに生きてます。

極限状態から見えたもの

人間生きていれば、誰しも悲しい思いや辛い経験をすることでしょう。

 

最愛の人との別れや最愛のペットとの別れ、

 

人から裏切られたり、

 

学校や職場で理不尽な思いをしたり、

 

夫婦や親子関係がうまくいかなかったり、

 

努力が実らなかったり、

 

あげればきりがありません。

 

私はもともと、ポジティブ思考な人間でした。

 

例えば、仕事などで失敗した時は、『失敗は成功のもと』というように次に活かせばいいとか、

 

嫌なこと辛いことがあれば、これは意味のあることで、必ず自分にとって糧となるに違いないとか、

 

どうすれば、この状況をもっといいようにもっていけるかとか、

 

どんなことも、前向きにとらえて生きてこれた方だと思います。

 

息子の子育てをするまでは。

 

「それはそうよ。子供は親の思うようにはならないわよ。」なんて声が聞こえてきそうです。

 

息子は、知的に障害のない発達障害です。

 

今現在、高校生です。

 

学校には普通に通えてきたし、一見『ふつう』に見えます。

 

ですが、家に帰ると外で頑張り過ぎて緊張が解けるのか、話が通じません。

 

人と暮らす最小限のルールみたいのも通用しません。

 

「やめて。」も通用しません。

 

そして、この我が家の状況を説明しても理解を得られることは滅多にありません。

 

「学校に行けてるのだからいいでしょう。」と言われるのがおちです。

 

確かにそれはそうかもしれません。

 

この状況を言っても誰にも理解してもらえないと思うと、次第に言わなくなってしまいました。

 

寄り添ってくれる友人、発達支援の先生、心療内科の先生を除いては。

 

学校に行けてるということや知的に障害がないということで、家での大変さはわかりにくくなってしまします。

 

確かに、知的に障害のある子との生活と比べたら大変ではないかもしれません。

 

認知症の親御さんの面倒をみることに比べたら、大変ではないかもしれません。

 

ですが、コミュニュケーションの取りづらさという点では少し共通していると思います。

 

息子の場合、コミュニュケーションが『取りづらい』以上『取れない』未満と言ったところでしょうか。

 

しかし、私から見るとコミュニケーションは『取れない』に等しいです。

 

そういう人と一緒に暮らしていると、心身ともに疲弊してきます。

 

前向きになる隙間なんてどこにも無くなってしまいます。

 

とにかく、自分が生きていくことで精一杯になってしまします。

 

それは、人によるのかもしれませんけど。

 

しかし、幼稚園の頃通っていた発達支援先の先生に、遠回しに心療内科を薦められた時、私みたいな人が少なくないと感じました。

 

そして、親子間の悲しいニュースを耳にするたびに、人ごとではないといつも思っていました。

 

私は、息子と一緒に暮らすことで生まれて初めて精神的に極限状態を経験しました。

 

精神的に弱っている時、というより、かなりどうしようもない時、相手の言動にすごく敏感になります。 

 

そういう時、今まで見えなかった人の身勝手さや、反対に今まで感じたことのない人の優しさが身にしみました。

 

つまり、良くも悪くもその人の本質のようなものを感じとってしまうのです。

 

結果的に、私の人間関係は今ではとても身軽なものになりました。

 

そして、自分のことで大変な時でも、どんな時でもいつも寄り添い続けてくれた友人には感謝してもしきれません。

 

 

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