人生一度きり

発達障害の子を持つ母としての経験談。自分の鬱、適応障害の体験談。その他日常で思ったことなど。1ミリでも前向きに生きてます。

お説教とアドバイスの違い

 お説教というと、年上の人が年下の人に対してくどくどと自分の良かれと思ったことを並び立てるイメージがあります。

 

イメージというよりそのものかもしれません。

 

ですが、ただ自分の良かれと思ったことを並び立てているかというと、そうでもなくて、お説教する側は相手のことを想って言っているに違いありません。

 

そこには、おそらく愛があるのでしょう。

 

でも聞いている側からすると、今時の言葉で言えば「うざい。」ということになってしまいます。

 

息子が小さかった頃、スーパーで買い物をしていた際、息子に「なんで?なんで?」攻撃を食らっていた時のことです。

 

その「なんで?」は、私の説明を求めているのではなくて、ただゲーム感覚であるかのように私の答えはどうでもよくて、矢継ぎ早に「なんで?」を連発するものでした。

 

買い物に集中したい私は、「なんで、なんでじゃないの。」と怒ってしまいました。

 

すると、その一部分だけを見たおば様が私に「子供のなんで?という好奇心を奪ってはいけないよ。そうやっていろんなことを覚えていくのだから。」というようなことを言ってきたのでした。

 

私は悔しくなりましたが、「そうですね。」と言ってその場をしのぎました。

 

私からすれば、そんなことはわかってるのに、こちらの事情も知らないで、という思いでいっぱいでした。

 

そんなやりきれない気持ちをなだめるように、そんなことを言ってくれたのはありがたいことだと自分に言い聞かせました。きっと私のことを想ってくれたからこそ言ってくれたのだろう、と。

 

しかし、一方的なおば様の意見をどうしても素直に受け止めることができません。

 

そう、お説教は一方的なわけです。こちらの事情や気持ちは一切考慮されていません。

 

愛はあるかもしれませんが、自己満足の世界に過ぎません。

 

仏教でいうところの小我の愛だと思います。それは相手のことを想っているようだけど、とどのつまりは自分のためという利己的な愛になります。

 

お説教は小我の愛で発せらるものだと私は思います。

 

反対にアドバイス大我の愛なのだと思います。

 

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大我の愛とはつまり無償の愛です。

 

相手の幸せが自分の幸せみたいなことだと思います。

自分の損得は関係ありません。

 

ですから、大我の愛から生じるアドバイスには、自分の意見を押し付けたりするのでもなく、ましてや相手の人を自分の思い通りにしようなんてことはありません。

 

お説教は、相手の人を自分の思い通りにしたいと言う意図のある、押し付けがましい意見だと思います。

 

アドバイスは、『私』はこう思うけど、あくまでも決めるのは『あなた』ですよ、と言うメッセージが込められています。

 

そして、相手の人を自分の思い通りにしたいと言う意図などは全くなく、意見の押し付けでもありません。

 

アドバイスの主体は『あなた』です。

 

その反対に、お説教の主体は『私』です。

 

お説教は、『私』がこう思うのだから、あなたもこうしなさいと言うわけです。

 

つまり、お説教とアドバスの違いは、主体が『私』か『あなた』であるかの違いで、つまりは『小我の愛』であるか『大我の愛』であるかの違いなのではと私は思います。

 

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