人生一度きり

発達障害の子を持つ母としての経験談。自分の鬱、適応障害の体験談をと思い始めましたが、最近ではその他日常で思ったことなどがメインです。1ミリでも前向きに生きてます。

【幸せ】はひけらかすものではなく噛みしめるものではないだろうか

 スポンサーリンク

 

こんにちは。人生一度きりnemokotanです。

 

私は、芸能人のブログを読むのが好きです。

 

とは言っても誰も彼ものブログではなくて、読む人のブログはだいたい何人か決まっています。

 

きっかけは、

その芸能人が女性の場合、毎日の夕食を参考にしたり、それを見て夕飯作りのモチベーションを上げることができそうだと思ったからです。

 

f:id:nemokotan:20190830145631p:plain

しかし、その頃の私はあまり夕飯を作ることが出来ずにいたので、彼女たちが作る品数の多い食卓を見て、モチベーションが上がるどころか返ってそのブログを目にすることが苦痛になってしまいました。

 

もちろん彼女たちは全然悪くありません。それは、自分の問題ですから。

 

男性芸能人の場合では、ブログというものがなかったら私たちは、彼ら芸能人の私生活を全く窺い知ることがなかったであろうと言った画期的なところに惹かれ、ブログを通して私生活を覗き見したいという思いがあったのだと思います。

 

今現在5、6人の芸能人、著名人のブログを見ていますが、常々疑問に思ってしまうことがあります。

 

それは、彼らのうち一人を除いては「幸せ。」とか「あー、幸せ。」と言う言葉を不特定多数の人に向けて度々ブログで発信していることです。

 

彼らが幸せであろうと言うことは、言葉にしなくても見ている側からすると十分に伝わってきます。

 

「幸せ。」と思わず言葉に出てしまうぐらい、彼らは本当に幸せなのだと思います。

 

そして、その『幸せ』を見せびらかすと言う思いは全くないのかもしれません。

 

単に事実を言っているだけなのでしょう。

 

そして、自分のブログを見てくれている自分のファンであれば、その『幸せ』を共有してくれるはずだと言う思いもどこかにあるのかもしれません。 

 

ですが、私は『幸せ』と言うものはそんなにひけらかすものではないと思うのです。

 

何かこう、たしなみのようなことなんだと思いますが、『幸せ』は一人で、もしくは近しい人と一緒でもいいと思うのですが、噛みしめるものだと思うのです

 

少し話は逸れてしまいますが、『幸せ』をひけらかしていると、人のやっかみや嫉妬などを少なからず受けるかと思います。

 

昔の人はそう言うことを知ってか知らずか、自分の『幸せ』をひけらかすことなどしなかったように思うんですよね。

 

そう言う私は、昔の人をよく知る訳ではありませんが、自分が育ってきた中で肌で感じてきたこととでも言うのでしょうか。

 

そう言う中から、時に自分の美学ができ上がってくるのでしょうか。

 

そう、単にこれは私自身の美学に過ぎないのかもしれません。

 

なので、こうすべきだとか人に押し付けるものではなくて、私だったらこうすると言うことで聞いていただけるといいかと思います。

 

時代は変わるものだし、それこそ美学なんてものは人それぞれなのですから。

 

でも私はこれからも、幸せはそっと噛み締めていたいと思っています。

 


 スポンサーリンク