人生一度きり

発達障害の子を持つ母としての経験談。自分の鬱、適応障害の体験談をと思い始めましたが、最近ではその他日常で思ったことなどがメインです。1ミリでも前向きに生きてます。

理解と諦めについて

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こんにちは。人生一度きりnemokotanです。

 

私が大人になってから、理解と諦めは時と場合によっては同じ意味になるのかもしれないと言うことに気づきました。

 

それ以来、理解することが難しければ諦めてみようと思ったのです。

 

その気づきは、私が20代後半、派遣社員として勤め始めた時に、引き継ぎをしてもらった当時50歳ぐらいの女性との会話がきっかけでした。

 

仕事が終わり、その女性と駅まで一緒に帰った時のことです。

 

今でこそ、結婚しても女性が働くのが当たり前になりましたが、ほんの20年前はまだ、結婚したら女性は家にいるものだと言う風潮がまだありました。

 

その女性は、私が働くことについて「ご主人はいいって言ってるの?」と私に聞いたので、「はい、私が家にいられないことを知っているので理解があって。」と応えると、すかさず「あー、諦めてるのね。」と。

 

その時、『そうか!夫は諦めているんだ。』と素直に思いました。

そして気付きました。

『理解する。』と言うと聞こえがいいけど、実際のところ『諦めている。』と言うのが本当だと。

 

それから私は、家族のことに関してちょっと受け入れられないことがあると、理解すると言うよりも諦めてみることにしました。

 

諦めるのは難しいことでもありますが、受け入れられないことを理解しようとするよりもずっと簡単なことだと思います。

 

この諦めは、ネガティヴな意味の諦めではなく前向きな諦めになりましょう。

 

理解することは、理に解するのだから頭で納得すると言うことになると考えます。

そしてそこには受け入れるという意味も含まれているのでしょう。

 

例えば、

自分と違う意見の人を理解する。

相手の宗教による戒律を理解する。

我が家の場合は息子のことを理解する。

など、

『理解する』は、頭で分かってそれを受け入れる。

 

それが自分に直接の利害関係を及ばさなければ、理解するのは簡単なように思います。

 

ですが、それが家族だとして、例えば自分にとって思わしくないことだとしたら簡単に理解できますか?

受け入れられますか?

 

 理解は、『理解しなければならない。』『ねばならない。』と言う思いが付きまといます。

本当は自分にとっては受け入れられないことなのに、理解をして受け入れなければならない。

そのことは、自分の身に直接思わしくないことが降りかかってきた時、とっても大変なことになります。

 

ですが、諦めると言う行為であれば意外にも簡単にできませんか?

 

『諦める』は頭 で考えなくてもいいわけですよね。

 

何も考えることなく、ただ諦めてしまえばいいのです。

 

理解して受け入れるのが難しければ、諦めることによって受け入れてしまえばいいと思います。

 

同じ受け入れなければならないことなら、諦める方が簡単です。

 

家族のことは、日常的に起こります。

いちいち、理解するなどと大変なことをしていられません。

 

諦めることは夫婦間でももちろんありますが、我が家の場合は特に息子のことです。

 

ほとんどの言動が理解し難いことばかりです。

 

一部分だけとなれば、なんとか頑張れるかもしれません。

我が家の場合はそうもいきません。

 

発達障害であるのだからそれを理解しなければならないとなると、もうほぼ全部を理解しないといけないことになります。

 

理解せねばならないと言う思いが私を苦しめるのです。

いっそのこと、発達障害なんて言葉がなければいいのにと思うことも正直あります。

我が家の場合においては。

 

ですので、自分の身が持たなくならないように、自己防衛のためにもいちいち理解はしていられないのです。 

ポジティブに諦めるのです。

 

これがまた、人ごとであれば理解はできるのですけど。

 

理解するとは、私にとっては綺麗事になってしまいました。

 

家族のことで理解できずに苦しむより、前向きな意味での諦めを持って少しでも平和な家庭でいられたらその方がよっぽどもいいと思っています。

 

おそらく、夫はこのことを早くから気づいていたのでしょうね。

 

 

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