人生一度きり

発達障害の子を持つ母としての経験談。自分の鬱、適応障害の体験談をと思い始めましたが、最近ではその他日常で思ったことなどがメインです。1ミリでも前向きに生きてます。

私には子育てのキレイごとは通用しません〜発達障害の子を持つ母の心境〜

今日は、説明するのにはすごく難しい息子のことと、息子と私の関係について書きたいと思います。

 

興味のない方は、いつもとはうって変わって重たい話になるので引き返した方が賢明だと思います。

 

少しでも興味のある方、寄り添っていただける方がいらしたら聞いていただけたら幸いです。

 

寄り添える人なんて少ないことは覚悟の上、それでも書きます。

 

せっかくブログを書いているのですから。

 

 

ネット社会の普及と共に、子育てにおいてのキレイごとがますます世の中に溢れかえっています。

あまりそう言うのは読まないので、正確には溢れかえっていると思います、です。

 

親としてのあり方のキレイごともますます世の中に溢れかえっています。

思います。

 

でもそんなキレイごと、私には全く通用しません。

 

そういうことを見聞きするたびに、私は気分が悪くなります。

 

息子が発達障害ならば、適切な対応をすればいいんじゃない?

 

そうすればうまく行くんじゃない?

 

なんでできないの?

 

て、何にも知らない人、もしくは同じ発達障害でも適切な支援を受けられたり、そこそこうまくいっている人はそう思うでしょう。

 

子供がそこそこ素直だったり、適切な対応が取れてうまくいったりしていれば、なんでそれができないの?と不思議に思ったり、親が全面的に悪いと思われるんじゃないかと思うと私は憤りを覚えます。

 

人の性格がみんな違うように発達障害の特性はみんな違って、そこに性格が加わりひとくくりにできません。

 

発達障害の子を持つ母親は、子供が人に興味を全く示さない、共感能力がないなどと言うことから、母親は母親としての自覚がどうしても育ちにくくなると言われています。

 

事実私もそれに当てはまるかと思っています。

 

『無償の愛』だなんてキレイごとにしか思えません。

しかし、息子に対して私の中から『情』が時々首をもたげるのでそれで良しとしています。

 

もちろん、『無償の愛』を注げる人もいるでしょう。

 

そうでない親たちがなかな発信しないのは、自分が理解されないことを恐れるか、反発をかうのがせいぜいだろうと諦めているからだと想像します。

 

発達障害の子の子育てがそれなりにうまくいっているか、進歩を感じられる人はそれは発信して行きたくなるでしょう。

もちろん、そのことを決して否定しているわけではありません。

 

ただ、そういうケースばかりではない。

むしろそういうケースの方が少ないのではないかと言うことを、当事者の人たちにも当事者でない人たちにも知ってほしいのです。

 

息子の場合、プライドが人一倍高い、褒めることに効果がない、自分の主張第一。

いつも喧嘩ごしで、自己中。すぐキレる。人としてありえない言動がしばしば。考え方がおかしい。家の中でやりたい放題。

道徳的観念が皆無。

 

だから、息子から何か話しかけれても私もいつも普通に会話できません。

話しかけられると言っても、それは大抵要求です。

 

言い表すのは本当に難しいです。

だから、私は人にはあまり言わないできました。

 

私が下手に説明することで、変に誤解を生じること間違いないから。

そして、やっぱり理解されないんだと自分自身が傷つくから。

 

いつも思うことは、日本は遅ればせながら、認知症の介護者はできるだけ人の手を借りて、家族の負担を軽減できるようデイサービスに通ったり、施設に預けたりすることが浸透してきましたよね。

 

それは、介護する側がボロボロになってしまうからと言うことがようやく認知されたからですよね。

 

認知症の親を、愛とう言うキレイゴトだけでは介護するのはすごく難しいからですよね。 

 

そしてこちらも遅ればせながら、知的障害を含む発達障害の子を放課後などに見てくれるところは、少しずつ増えてきつつあるように思います。

 

ですが、認知症の人のようなケアにまでは至っていないでしょう。

発達障害の子に対しても、人によっては認知症の人と同じサポートが必要なのではと思うのです。

一体何が違うと言うのでしょう?

 

我が家のケースでは、認知症の人レベルで社会の手を借りなければ本当に難しいと思ってきました。

 

もう私ボロボロでした。

何度も死にたくなりました。

毎日どうしたら楽に死ねるかばかり考えていたし、もうわけわからなくなって薬の過剰摂取も数え切れません。

 

幼い子、特に私個人的には5歳が山場であると思っていますが、実際5歳頃の悲しい事件が多いです。

 

無理もないよなぁ、ってとても他人事には思えず、そんなニュースを目にするたびに胸が痛みました。

 

そんなこと、想像すらできない世間はひたすら親を責めます。

 

「近所の人がどうにかしてあげられなかったのかね?」

「早くにお母さんが助けを求められなかったのかね?」

「自分の子なのにねぇ。考えられません。」

 

なんてコメンテーターの言葉を耳にするたびに、なんて薄っぺらいと思ってしまいます。

 

これが認知症の親だと少しは同情の余地があるように感じるのは私だけでしょうか?

 

話はもどりますが、親が子を殺めてしまうような事件になる前に、社会全体で制度を完備し解決していく問題だと思います。

 

実際我が家もずっと紙一重の状態できました。

 

核家族がほとんどの現代社会は、家族間では解決することに無理があり、社会がどうにかしていくものだと常々思います。

 

私はいろいろと福祉施設を訪れたりしましたが、それだけでは不十分と実感しているし、我が家のような親子をサポートする体制もしっかり整っていないと実感しています。

 

とり合えずは、市のサポート施設にたまに通うのがせいぜいでした。

そこで、専門の先生に話しを聞いてもらうことは本当に救いでしたが、じゃあ具体的にどうするかといった解決方法に至らないのも事実です。

 

究極は児童相談所にまで相談しましたが、なんら手応えもないし電話の折り返しもひどく時間がかかり、とりあえず面談して話しは聞きましたよー、と言う風にしか感じられませんでした。

 

私が家を出ていくことが一番の解決方法だとは頭ではわかっていましたが、その頃は自分にもそんな力は残されておらず、ましてや経済力もないので、薬を飲んでただただ現実逃避のために眠りこけるしかない日々が続いたこともよくありました。

 

親の精神までもがおかしくなり、どこに助けを求めていいのかもわからず、母親に向けられた非難の眼差しや周囲の理解を得られずに孤独に陥り、日々暗闇の中で耐え忍んでいるお母さんは多いんじゃないかと思います。

 

家の中で苦しみ、外へ出れば冷たい非難の目に苦しみます。

外出も困難になります。

子供を連れて人とも会いたくなくなります。

そうしてどんどん孤立状態に陥るわけです。

 

話しがまとまりませんが、特に知的障害のない発達障害の子をもつお母さんがこんな風

に苦しんでることを一人でも多くの人に知ってもらえたら幸いです。

 

知的障害のない発達障害は、診断も医師の裁量で曖昧だし、支援も曖昧、周囲の理解も得られにくいんです。

 

苦しんでるお母さんが、たった一人でもいいから理解のある専門家に話しを聞いてもらって、いっときでもいいんです。 

お母さんの気持ちがほんの少しでも軽くなれたらいいですよね。

 

また、私がよく言われたことは支援先を一つでも多く持った方がいいと言われました。

それは理想かと私も思います。

連携してもらえれば、なおいいです。

 

ですが、わかってもらえる人が一人でもいればそれは母親の安心に繋がると思うので、発達障害に理解あるの専門の先生、それは医師だけではなく支援施設でサポートしてくれるあらゆる先生のことですが、熟知した専門家を一人でも探すことが大きな支えになるかと思います。

 

いろんなキレイごとに惑わされず、ウチはウチ流というスタンスで乗り越えていけるといいですね。

 

ねもこたん。

 

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