人生一度きり

発達障害の子を持つ母としての経験談。自分の鬱、適応障害の体験談をと思い始めましたが、最近ではその他日常で思ったことなどがメインです。1ミリでも前向きに生きてます。

意識と無我夢中

意識は絶えず揺らいでいる。

 

近くの過去に行ったり、遠くの未来に行ったり、

近くの未来に行ったり、遠くの過去に行ったり。

 

自分がすごく辛かった時は、過去にばかり行ってしまう意識を無理にでも今この瞬間にだけ向けてみた。

 

寝ている私のそばに来る猫を「可愛い」と思うことを味わう。

その感情だけにどっぷり浸る。

すると、「私にはこんなに可愛い猫がいてくれて幸せだなぁ。」という気持ちが湧いてくる。

 

美味しいものを食べたら、「あ〜、美味しいなぁ。」とそのことだけを感じる。

すると、「こんなに美味しいものが食べれて幸せだなぁ。」という気持ちになれる。

 

シャワーを浴びるときも、例えば髪の毛を洗うとする。

シャンプーしていることだけに意識を向けてみる。

すると、「髪が洗えて幸せだなぁ。」と思えてくる。

 

一日中、そんなことをするのは難しいけど、出来るだけ意識があっちに行ったり、こっちに行ったりしないように過ごしてみる。

 

ちょっとずつだけど、すごく小さな幸せに気づいて、ちょとずつだけど体も心も前を向き始めたような気がする。

 

一歩進んで二歩下がるを繰り返しながらでも、もし進めるなら少しでも歩み続けたいと思った。

 

こんな時期もありました。

 

だいぶ元気になった今、元気になるとだんだん忘れてくるんですね。

 

それだけ元気になった証拠かもしれませんが、せめて食事やお風呂に入っている時、家族、と言っても実質、夫だけですが夫と過ごす時ぐらいは今この瞬間に意識を向けたいと思います。パソコンにかじりついてる場合じゃないですよ、自分。

 

でも、意識は揺らいでいるからこそ、こんな風にブログが書けたりしているのだとも思います。

 

座禅や瞑想というものは、意識を無にすることを言うのでしょうか。

経験がないので詳しくありませんが、そうだとすると人は「無」になる時間というのが必要なんだと考えます。

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 「無」と「夢中」はまた違うのかもしれませんが、でも「無我夢中」という言葉がありますよね。

 

そう、私が言いたいのは「無」でもあり「夢中」でもある「無我夢中」の状態なのかもしれません。

 

そして、「無」でも「夢中」でもどちらでもいいんです。

人間はそういう時間というのが必要なんだと思うんです。

 

子供が遊ぶ時は「夢中」になって遊びます。

 

その代わりに大人は、趣味などを通して「夢中」になる時間をもうけるのかもしれません。

中にはお仕事に夢中になれる人もいるでしょう。

 

自分の経験で言えば、編み物をしていた時は「無」の状態に近かかったです。

得意ではないですけど。

 

1000ピースのパズルをしている時は「夢中」でした。

そのことだけを考えている状態。

 

テニスをしている時も、今その瞬間のことだけ考えています。

 

(「無」なる時間や)「夢中」になる時間を過ごした後は、気持ちがリフレッシュされますよね。

 

そして、気持ちがリセットされて、もしくは充電されてまたやる気がみなぎってきます。大げさに言えば、生きる力がみなぎってきます。

 

座禅と一緒にしてはいけないのかもしれませんが、現代人に座禅などが流行っているのは、あえて「無」になる時間を作って自分をリセットしようとしているのではないかと思うんです。

 

現代人は常に忙しく、その上スマホでニュースなりSNSだったり、動画だったりを見て情報に埋もれています。

脳は休まることを知りません。

 

自然も無いところで暮らす人も多く、自然の中でぼーっと過ごすこともほぼないでしょう。

 

だから無意識に「無」になることを必要として、座禅や瞑想などをしたくなるんだと思います。

私も興味がありますもの。

 

何が言いたいのかと言うと、本当は違うことが言いたくて書きはじめ前置きにしたかったのですが今日はこの辺にします。

 

で、何が言いたいのかと言うと、なるべく意識を今に集中させると幸せが増えると言うことと、増えなくても少しは楽になると言うこと、何かに無我夢中になって取り組めることがあるといいなぁと言うことです。

 

ねもこたん(nemokotan)

 

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